| さくらさんがいなくなった家
さくらさんが亡くなってから、さくらさんの家の前を通る時、無遠慮にじろじろ見てしまうようになった。外からは、さくらさんが住んでいないことはわからない。
夕方になると、門柱に明かりが灯り、塀は台風で倒れた後に軽トラックに乗っていつも簡単な大工仕事をしてくれるおじいさんがやってきて直したばかりなので、塀の真新しい木目のトタンに白い明かりが当たって、ちょうど曲がり角の少し先の道の片側に明かりのカーテンができたように見える。車のすれ違うのもやっとの幅で、さらに坂の多いこの道で、曲がったばかりでそういうものが見えると、とてもほっとする。ほっとした後、塀に映る自分や犬たちの影が恐くなる時もある。とても、変な形に見えるからで、しばらく立ち止まって観察することもあるけれど、とても自分たちの影とは思えないなにか黒くてふわんとしたものが伸びたり縮んだりしているのを見るのがおちだった。
さくらさんが生きていた時は、用もないのに人の家の前に立ち止まるのは失礼なことだと思い、また立ち止まって観察したいというほど塀は光っていなかったように思う。
もうひとつ、夜の道にいつも大きな音が流れていて、それはテレビなのだけれど、雨戸を閉め切った家の外にもあんな音が漏れるくらいだから、さくらさんはよほど耳が遠いなと思いながら、バラエティなんかが聞こえてくると、それもなんだかいかめしい顔できびきびとしていたさくらさんには似合わなくて、おかしかったりした。さくらさんは銀行勤めのご主人と長年連れ添って、銀行のような堅苦しさが移ったのかも知れない。きちっとしているのが好きで、だらしのないことや、無駄なことが嫌いだった。
私は植木鉢の中に生えた雑草も好きだったけれど、さくらさんは通りがかりに日傘の先でそれを指して、私にとるように諭した。さくらさんは雑草が嫌いだった。たいていはひよこ草で、根も浅くて話しながらもすぐに抜けた。私たちはそんな時はいろんな話をした。話が終わりそうになると、さくらさんは日傘差で次の雑草を指していて、階段の石の間の指でつまめないほどの芽でさえも容赦なかった。
さくらさんはとても歳を取っていて、私の姑のそのまた姑と友達だったというから、さくらさんの思い出話は尽きることがない。いろんな人が出てきて、私の知らない人も出てきて、安否を尋ねられたりするのには困ったけれど、忘れちゃったというと、さくらさんは話題を変えてくれるのも早かった。
姑はさくらさんを嫌っていて、意地悪だったと言うけれど、それは当たっていたとしても、私なんかいくつになっても洟垂れ小僧のようにしか見えなかったらしく、さくらさんは子どもを諭すように私に話して、叱られた覚えはなかったし、嫌みや無理を言われたこともなかった。なにも期待していない穏やかさがあった。それは、さくらさんが年月とともに体得したものかも知れず、最後まで自力で生きていくことを選んだ厳しさと対になったものだったような気もする。
さくらさんは雑草が嫌いだったけれど、草木は好きだった。見事な御輿の松があり、とても変な形に整えられた不思議な木が何本か塀から頭を出していた。年に何回か植木屋さんが来て、松とその木たちの手入れをしていく。私は植木も床屋さんが来るみたいだなあと思っていた。その変な形に整えられた、まるで変わることなんかあるはずがないと思えるほど、長い間、何十年も同じ様子だった木が、さくらさんが亡くなってから一本枯れた。
それがちょうど、トタンの塀の端にある木で、私はその木を見上げてついつい昼間もその辺りで動けなくなってしまう。犬が道の臭いをかいでいたりするのをいいことに、さくらさんの家をじろじろと観察する。いくら見ても、木が枯れてしまった以外、テレビの音が流れ出さない以外、なにも変わったところが発見できないで、それがとても苦しい。
家というのは不思議なものだと思う。
2005.5.13 ラブアンドピース
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