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リレー小説 色鳥 二十一回
光輝がこそこそとベッドを出て身繕いしながら「ごめん」とつぶやく。「はい」操は横になって壁に顔を向けまま素っ気なく応じる。吐き気がするくらい自分の身体が汚らしく思える。一刻も早くシャワーを浴びたい。けれど起きあがる切っ掛けが掴めない。
突然ヴィヴァルディのメロディがベッドサイドの床の上から鳴りだして、彼女はギクッとする。操のケイタイの呼び出し音だ。脱ぎ散らかした衣服の中から、慌ててサマージャケットを捜し出し、ポケットからケイタイを取り出した時には、呼び出し音は消えていた。
着信履歴はとっさには心当たりのない番号だった。ちょっと躊躇してから、彼女は送信ボタンを押す。
「もしもし」操の声に重なるように、急き込んだ男の声が確かめる。
「三枝さん?」
「……そうですが……」訝しげに彼女が答えると、
「今、真奈美から連絡があったんですが……」
聞いた瞬間、操は相手に思い当たった。今日の午前中逢った文也とかいう男だ。でも、どうして……? 彼にアドレスを教えた記憶はない。
でもそんな訝しさは、次の文也の言葉で吹き飛んでしまった。
「亜矢さんが攫われたって言うんです」
操にはとっさには彼の言葉が意識の中に入って来なかった。
「何ですか? 亜矢が何ですって?」
「ですから、攫われたんだそうです」
操はベッドから飛び出した。隣のベッドに移っていた光輝が、ギョッとしたように身を起こす。操は慌てて片手で下着を身に付けようとしながら、ケイタイに、
「攫われた……って、どういうこと?」
「よく判りません。これからあの子を迎えに行って、詳しく訊きます」
「でも、攫われた、って誰に?」
「それが、まだ良く……女だとか、白いガウンだとか、ワゴン車とか言ってたけど……」
「瞑想セラピー!」操は思わず口走る。
「そうそう、それも言ってた。なんですか、それ?」ケイタイの文也の声に重なって、
「何だって?」光輝が隣のベッドから声を挙げる。操はケイタイを耳から離し、光輝に早口で、
「亜矢が攫われたの、瞑想セラピーに……すぐに警察へ通報しなければ」
「ちょっと待って! 警察はまずい」
「まずい、って……だって、攫われたのよ!」
「攫われたんじゃないよ、瞑想セラピーなら、保護されたんだ。大丈夫だから。いま警察は、僕がまずい」
光輝のそんな言葉に重なって、ケイタイから文也の声が、
「耳朶を食いちぎったとかって……」
「え!?」操は聞き返す。
「だから、女の耳朶を、食いちぎって……」
「誰が? 亜矢が?」
「真奈美が! ワゴン車から突き落とされそうになって」
「保護なんかじゃないわ、それじゃ!」
「ほご? なんですか、それ?」
「いいから! 私も行きます。行きがけにホテルへ寄って下さい、お願い! 車寄せで待ってます」
「待って! 落ち着いて! 心配ないんだから」
光輝が阻止しようとして手を出すのを、操は力任せに振りほどいた。
「亜矢、亜矢! たいへん! 行かなくちゃ! お願い! すぐに行きます! 今すぐ!」
操は支離滅裂に口走りながら、ケイタイをベッドに投げ出して、衣服を身につけ始める。
「ちょっと待って!」なおも遮ろうとする光輝を、操はものすごい目つきで睨む。
「それでも親なの、あなたは!」
光輝はベッドの上を尻でいざるように壁際まで後ずさりして、身を竦め、
「……とにかく、警察はまずい」
「あなたは勝手にここにいたら? とにかく私は行きます!」
操は彼に見向きもせずに身仕舞いを済ませると、バッグをひっつかみ、部屋を出ようとする。
「連絡法は?」
光輝の声に彼女は戸口で振り返る。
「ケイタイを忘れてきて……」言いかけて、光輝はハッと気が付いたらしく、絶句する。
操はちょっとそんな彼を見詰めていてから、
「ホテルへ連絡するから、部屋に居て」言い捨てて、そのまま部屋を出る。
正面の回転ドアを出ると、ムッと蒸し暑い真夏の夜気が全身を包む。車寄せで足踏みしたいような思いで待つ操の前に文也の車が現われるまでの時間が、彼女にとっては気の遠くなるような永さだった。
やがてメタリックシルバーの、小型車ながらBMWが現われて車寄せに停まった。ドアボーイが近寄るより先に操が駈け寄り、文也が運転席から手を伸ばすのも待ちきれず、外から助手席のドアを引き開けざま身体を滑り込ませながら、
「どこ、どこに居るの?」急き込んで訊く。
「ええと、これじゃないし……これかな?」文也は運転席でしきりにスイッチやボタンをいじくり回している。
「ライトがどうしても下向きにならないんですよ……ま、いいか」と窮屈そうな姿勢で車を発進させる。
「シートの下げ方も判らないし……彼、短足だからなぁ」
「真奈美さんはどこなの?」
苛立って訊く操に、
「それが……高速道路の路肩に引きずり下ろされたって言うんですけど……」
文也はホテル前の道路に車を割り込ませながら、
「上弦の月からケイタイした時は通じたんだけど、マスターに車を借りてっから掛けたら出ないんです」
文也は片手でハンドルを操りながら、身をよじるようにしてジーンズのポケットから、まるで女物のような華奢なレモンイエローのケイタイを取り出し、
「だいたいの方角は掴めたんだけど、ちょっとケイタイで確かめてもらえませんか?」と操に渡す。
受け取った操は送信記録を出し、「マナ」という宛名を選んでONする。ケイタイを押し当てた操の耳に、しばらく呼び出し音が続いてから、
「タダイマデンパノトドカナイバショニオリマスノデ……」という無表情な声が届いた。
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