再生とは固い種から芽が出るようなものだと思うのだが、女の人の言葉には前向きなものが感じられなかった。深く響く声や美しいが表情の変わらない顔のせいかもしれない。どうしても悪い予感を意識してしまう。死とか滅亡とか、崩壊とか暗闇とか。
女の人は胸の前で手を組み合わせ、少しの間目を閉じた。
「直に瞑想も終わりますから、お待ちになってお父様とお話になったらいかがですか」
断る理由はなかった。とにかく今は行くしかない。涙の跡を指で拭い、亜矢は女の人の後についていった。ひたひたと二人の足音が耳に響く。それ以外に音をたてる物はなく、あの不思議な音楽も聞こえない。白い廊下は間接照明の効果でじょじょに発光を増し、亜矢に一枚の絵を思い出させた。学校の礼拝堂にかけてある『神、降臨』というタイトルがついた絵で、上部の明るい光の束に向かって聖母が跪き祈りを捧げている。光の先には何があるのだろう。何か素晴らしく美しい世界ではないか。初めて見たとき、そう思いながら亜矢は悲しみでいっぱいになった。美しいことは悲しいのかもしれない。だから、この人も悲しい感じがするのかもしれないと、先を行く白い上着を見つめる。
「ここのこと、少しお話ししましょうか」
十字路を曲がったところで、女の人は歩みを遅め、亜矢と肩を並べた。拳一つ分背が高い体の真っ直ぐに伸びたうなじから、ほのかに甘い香りがする。温めたミルクに似ていて、亜矢は少しだけ体の力を抜く。
「さっきご覧になった瞑想は、一見シュタイナー学校やグルジェフワークの流れだと揶揄される方もいらっしゃいます。でも、創始者、私たちはマスターと呼んでいますが、マスターが長い探求の旅と厳しい修行の末に行きついた自己覚醒の形なのですよ」
えっ。訳がわからず亜矢が小さく叫ぶと、女の人は促すように背中を押した。
「コリン・ウィルソンに言わせれば、グルジェフは二十世紀最大の魔術師ということになってしまいますが、そんな眉唾的な言い方は私は抵抗があるんです。理論を体系づけたシュタイナーの方は今では世界中に信奉者がいて認知度も高いのですが、物質的な認識だけでなく霊感や直感、古代から伝わる自然界の大いなる知恵を追求した点では、二人は同類だと私は思っているんです」
亜矢は横目で女の人の表情をうかがった。何かに憧れるみたいに頬が上気していて、ちょっとだけかっこいいと思う。この人はとても頭のいい人なんだ。そして何だかわからないけれど、大切なことについて真面目に取り組んでいる。でもなのに、と思う。それがどういうふうにさっきの父親に繋がっていくのだろう。くるくる回る父親の白い尻はどうみても、質の悪いバラエティ番組そのものだ。
「つまり、グルジェフとシュタイナーの二人ともが、今自分が感じている私は次元の低い感じ方をしていて、まるで生きていない、眠っているのと同じだ、と気がついた人たちなんです。自分を知らなければ自分になれない。そのためには、さっきも言った、霊感や直感や、はっきりと言葉にできない深い意識で自分を感じる必要があるのですが、実はその方法は大昔から細々と受け継がれてきた「知恵」の中にあったことを知るんです、さまざまな奇蹟の導きによって。十九世紀の終わりから二十世紀半ばにかけては沢山の戦争が起こったりして、心ある人の中にそういう思いが非常に強まった時期なんですね。みんな、それぞれに自己を探求し始めたんです。マスターはそれらの思いを継承しながら、この時代にあったメソッドを提供するために、そういう人の思想が学べる所を沢山旅して、修行をして、ここを作ったんです」
今度はさっきよりわかりやすい言葉だった。が、半分くらいしか理解できなくて、亜矢はついに口を開いた。
「その難しいいろいろなことと、さっきの変な踊りみたいなのはどう関係があるんですか」
女の人が立ち止まったので、亜矢も歩くのを止めた。足音がなくなると、自分の呼吸が気になり、亜矢はそろそろと息を吐いた。変な踊りだなんて、ちょっと言い過ぎたかしら。謝る前に、女の人はぷっと噴き出した。
「そうよね、変よね、確かに変」
それから、独り言みたいに、スーフィダンスとタカティナを合体させたものだなんて説明しても、わからないわねえ、と呟いた。この子は何も知らない。宇宙の真理がカバラにあることも。いや、カバラすら知らないんだわ、言葉を持つ前の人類のように。だからこそ、この子が必要なのかもしれない。
あのう。声をかけると、女の人は遠くから引き戻されたように一瞬目を見開いたが、すぐにきれいに微笑んだ。
「みんな、音楽に合わせてくるくる回っていたでしょ」
「はい」
「そうしているうちに、上っ面だけで感じている自分がなくなって、素の自分が残るのです。そのとき、まるで今自分はここに存在していないかのように感じて不安になったりするのですが、それこそが重要な体験なのです」
「不安が重要?」
「そうです。それはカオス、カオスというのは混沌という意味なんだけど、カオスを感じているからで、それを知らなければ、自己覚醒はできないのよ」
亜矢の脳裏に父親の幸福そうな顔が蘇る。
「パパ、いえお父さんは、カクセイしたんですか」
「ええ」
不意に寒気がした。怖い。でも何が怖いんだろう。
「カクセイの後は、どうなるんですか」
「一歩ずつ歩み寄っていくだけ」
女の人が間接照明の方に視線をやる。まともに光を見てしまった亜矢は目頭を押さえた。
「どこへです。どこへ行くんです」
問い返すが、女の人は今度は答えなかった。
部屋は小さいのか大きいのか、やはりここも白一色で亜矢の視覚はうまく反応できない。出入口は亜矢たちが入室した自動扉の他にもう一つ飴色のノブのついたドアがあった。きっとそこから父親は来るのだろう。
「ここでお待ちになって」
振り向くと、女の人の姿はなかった。
ノブが回るまでどのくらいの時が経っただろう。十分やそこらだと思うが、亜矢には何時間にも思えた。
居心地悪そうにベッドに腰をかけている亜矢を見ても父親は驚かなかった。
「パパ、ちょっと、それ」
亜矢の方が驚愕し、目を伏せた。
「どうした。ん?」
亜矢が顔を背けながら指差すと、裸の父親は剥き出しの股間に手をやり、肩にかけていた白い布をあてがった。何でこだわるのかなあ。この方がずっと不自然なんだが。まあ仕方ないか。まだ開発されていないのだから。徐々にわかっていけば。そう、わかっていけばいい。父親も独り言を口にした。ここにいる人はみんなこんなふうに呟くのだろうか。まるで見えない誰かと話しているみたいに。亜矢は薄気味が悪くなったが、それでも我慢してベッドに座り続けた。心のどこかでさっきの占いばあさんの忠告がちくりと亜矢を刺す。
(そうだ、よく見なくちゃ)
横に腰掛けてきた父親はどこかでシャワーを浴びてきたらしく、湿った匂いを漂わせていてその中に亜矢は再びカモミールの匂いを嗅ぎ取った。毛深い筋肉質の腕が持ち上がり、頬に触れようとする。とたんに、亜矢は身をかわしていた。なぜそうしたのか。反射的に体が動いていた。
「どうした?」
気まずくなってスカートのプリーツを直すふりをしたが、焦った弾みでベッドに乗せていた鞄が床に落ち、デメルの箱が飛び出した。慌てて拾い上げる。幸い中身は出ていない。亜矢はしっかり奥に入れ込み、鞄を抱えた。
「箱菓子なんか持ち歩いて、お友だちにでもあげるつもりかい」
亜矢は息を飲み、鞄をぎゅうっと掴んで、パパと発した。
「パパ、聞きたいことがあるんだけど」
ん? 父親が亜矢を見る。その柔らかい微笑みに気持ちが怯むが、えいっと足を踏ん張った。
「パパはチカンなの」
父親は笑い始めた。それは心の中で思い描いた理想的な結末そのものだった。笑いながら父親は言うのだ。(パパは何もしていないよ。お友だちが勝手に勘違いしたんだろう。電車は混んでいたからね。パパはつり革に掴まっていたんだ。なのにどうして、あんなことを言い出したんだろうねえ…)そして、すべては元に戻る。
「チカンとはまた困った言い方をするねえ」
父親は亜矢の方に体を向けた。白い布が外れ、心持ち開き気味の股間から濃く茂っている陰毛が目に入った。黒くて穴のようにも思える。その先にあるものを直視しないように、亜矢は体を堅くして上を見た。ツタ模様の文字が浮き上がって、さっきよりさらにくっきりと読めた。『無』と『生』。
「パパは当たり前のことをしただけだよ」
ツタが下りてきて、亜矢の首に巻き付いた。実際にはそんなことは起きるわけもないのだが、亜矢はそう感じた。
「そんな言い方、アヤ、わかんない」
父親はまだ鷹揚な微笑みを湛えている。ああ、どうしよう。もういいじゃないの、と別の自分が言う。でも、亜矢はツタの『無』の字を千切るように激しく首を振った。
「触ったの、触らなかったの。どっちよ」
頭の天辺から声が出た。触った、と聞こえる。ああ、やっぱり。絶望がたちまち鉛の塊に変わり、胸を塞いだ。アーヤ…。父親は立ち上がろうとし、黒い穴から蛇がぶらりと顔を出した。
「嫌、来ないで」
感情が飛び散り、白い部屋が一瞬赤く燃えた気がした。
「亜矢、考え違いをしてはいけないよ」
静かな声だった。なんでそんなに穏やかでいられるんだろう。こんな平和な心持ちの人がチカンなんてするだろうか。しない、と思いたかった。そうしたら楽になれる。しかし、どうしても濁った気持ちが拭えない。亜矢は何かを見極めるように父親は睨んだ。肌色の体。そこには確かに色があり、服を着ていないだけで亜矢と何も変わらないはずなのに、白い部屋に良く溶け込んでいて違和感を感じさせない。その訳が亜矢にはわからなかった。(アーヤ…。アーヤ、聞きなさい)感情の起伏がない声が何度もよせてくる。子供の頃、寝しなに読んで貰ったおとぎ話のようだと亜矢は耳を塞ぐ。寝たくないのに、体が次第に重くなってベッドの海にのまれてしまう。
「あの子がそう望んだんだよ。あの子がそれを強く求めて、パパの心を揺らしたんだ。パパは助けてあげただけなんだ」
嘘をついているようには思えなかった。
「でも、そんなことってあるの」
マナは怒っていたはずだ。それを証拠に家まで怒鳴り込んできたじゃないか。「それはね、パパに会いたかったからだよ」
父親の顔がまた幸福に輝いた。
「あの子はまだ少女なのにもうあんなに熟し出してしまって、なのに誰も可愛がってあげないから、寂しくてしかたなかったんだよ。パパがしなくても誰か心ある人がしただろう。あの子だけじゃない、みんなそうなんだよ。どうしていいかわからなくて、自分を持て余しているんだ。自分で自分のことを気づけないだけで。パパにはわかるんだ、みんなの心が。いいかい、亜矢、そうしてほしくない人間なんていないんだよ」
「言ってることがよくわからない」
「それはお前がまだ青い実だからだよ。大丈夫、今にわかる」
父親は穏やかな面持ちで目を閉じ、さっき女の人がしたのと同じように手を組んだ。
「パパには亜矢の声も聞こえるよ。パパを信じたいって言っている」
そうよ。亜矢は叫んだ。
「だってそうじゃない。自分の親がチカンしたなんて、誰だって思いたくない。違う?」
「またそれを言う。パパのは違うんだよ」
「でも……」
アーヤ。目を開けた父親は愛おしそうに、亜矢を見つめた。
「世間の考えに惑わされてはいけない。自分の心を認めるんだよ。信じたいんだろう。なら、信じればいいんだ」
亜矢は込み上げるものを感じ、父親に駆け寄りたくなった。
「パパは悪いことなんて何もしていない。パパは自分の心に正直に従っただけなんだ。なあ、亜矢。正直は悪いことじゃないだろ? 学校でも習っているだろう、自分に背いてはいけない。ごまかさず、正直に生きなさいって」
亜矢は頷きかけて、慌ててすぐに首を振った。心の中のもやもやした何かが亜矢を引き留めていた。
「でも、違う。パパのしたことは間違っている」
マチ…ガッテ…イル。ソンナ、コトハ、ナイ、ナイ、ゼッタイ、ニナイ。途切れ途切れに呟き、父親はがくがくと何度も首を傾げた。
「お話はできましたか」
振り向くと、女の人が飲み物を持って立っていた。いつ部屋に入ってきたのか、亜矢はまったく気づかなかった。
「三枝さん、あのことはもう」
「いや、まだです」
「いきなりだし。今日は無理なのでは」
「いえ、します」
父親はもう首を揺すらなかった。しっかりと亜矢を見、パパはねと言った。
「ずい分長い間、苦しんできた」
その表情にはさっきまでの生き生きとした輝きはなく、残業が続いているときの疲れた感じをさらに何倍もひどくしたような消沈が目の隈となって浮き出している。しかし亜矢は父親の内部で何が起こっているのか、予測もつかなかった。
「ああ、アーヤ。そんな目をしないでくれ」
女の人が飲み物を差し出すが、押し返して父親は亜矢を見た。
「パパは、もう誰にもマチガッテイルなんて言われたくないんだよ。医者にも通った。薬も飲んだ。でも、誰もパパを理解してはくれなかった。みんな、どこかで軽蔑していた。だから今までのパパは自分をごまかすより他になかった。ごまかしていろんな色の嘘を重ね塗りして、パパはもう自分がもともと何色だったのか、わからないくらいになってしまった。このセラピーに来なかったら、パパはどうなっていたか。ここに来て、初めてパパは受け入れられたんだよ。パパは自分を認識し、その考えがどんなに素晴らしいことかわかったんだ。自分を殺す必要なんて、少しもなかったんだよ。あははははは……。もっと早く気づいていればなあ。パパだけじゃない、みんなもありのままにならなくてはいけないんだ。亜矢、お前もだよ。パパは誰よりもお前が大事なんだから」
「ママは」
ふっと口をついて出た。言ってみて初めて亜矢は母親が気になり出した。ママはどうしているだろう。ママ、ママに会いたい。
涙で滲む目の中で白い空間が不意に彩りを放ち、亜矢の前にテーブルが浮かんだ。
ママがパウンドケーキにナイフを入れる。その横で、パパがスケッチブックを広げて、描いたばかりの鳥にパステルで色を付ける。私は、話している。学校のことやテレビ番組のことや、どうでもいいようなことを話している。どうということのないいつもの風景だ。数え切れないくらい繰り返してきた団らんのテーブル……。
「少し飲みましょう」
女の人の声に亜矢は我に返った。差し出すカップを父親が口に含んでいる。湯気が動き、やはりこれもカモミールなのだとわかる。ああ、と父親が息を吐く。それは父親がくつろいでいるときに出す吐息だった。
「続けられますか」
「ええ」
続けるというのは、この告白のことだろうか。なら亜矢はもう聞きたくなかった。
「そうですね。三枝さんは、それをせねばならないのでしょう。私たちのためにも」
父親は大きく頷くと腕を伸ばし、亜矢を抱き寄せた。亜矢はびくりとし、体が硬直した。なだめるように、女の人が後ろから髪を撫でる。
「亜矢。お願いだからパパにシンクロしてくれ。パパを解き放ってくれ。お前にしかできないんだ。パパもそうしてきたんだ。お前も……」
父親はもっとしっかり亜矢を抱きしめようと、鞄に手をかけた。
「こんなもの、置いて。さあ。どうした。昔はもっと素直だったのに」
後ろから女の人が亜矢のスカートのファスナーをまさぐる。ありのままの姿になるの、と耳元で囁く。嫌です。身を捩ると、女の人は意外にも素直に手を離した。が、ほっとしたのもつかの間、女の人は纏っていた白い上着を脱いだ。弾みで豊かな乳房が大きく波打った。着ていたときにはわからなかったが、圧倒的な肉体だった。脇や股から処理をしていない縮れ毛が見える。白い肌にはあちこちに退色した古傷のような物があったが、どこも手で覆うことをせずに女の人は父親とベッドに座った。
「さあ、これならもう恥ずかしくはないでしょう」
異様な状況であるにも関わらず少しも歪さを感じなかった。この部屋の中では亜矢の方が異物で、亜矢は服を窮屈な物として意識し始めた。
「さあ、ありのままになって」
女の人が手を伸ばした。亜矢は女の人のどこにもきな臭さを感じることができなかった。むしろ、自分を導いてくれる人のようにも思えた。私はこの人を嫌いではないんだ。亜矢は観念して鞄を下ろした。そのとき、コトッと箱が鳴った。
やっぱり、ダメ。
鞄を持ち直すと、父親が立ち上がった。股間に黒々とそそり立つ鎌首があった。ああ、あれは。初めて見たはずなのに、亜矢はすべてを察した。これから何が起こるのかも、あれがどんな苦痛をもたらすのかも。
「三枝さん」
焦ってはダメ。女の人が制している間に亜矢は駈け出した。待ちなさい。亜矢は振り向かなかった。息が苦しくなっても走り続け、いっそこのまま消えてしまいたいと願った。もう、帰るところはなかった。亜矢は何もかも思い出したのだ。父親が幼い体にしたことを。拙い言葉で亜矢は必死に母親に訴えたのに、母親は救いの手を差し伸べてはくれなかったことも。それどころか、寝かしつける役を父親に命じたのだ。父親は黒く固い蛇を何度も押しつけた。そいつが口から白い舌を出すまで止めなかった。生臭くねばねばした気持ちの悪い物を拭き取ると、父親は「秘密だよ」と言った。
(もし誰かに話したら怖い物がくるよ。お前を食べに来るんだ、頭から。そのときはもうパパもママも生きちゃいないだろう。何もかもが壊れ去ってしまうんだよ、お前のせいで。それでもいいのかい。嫌だよね。パパもさ。だからパパは誰にも話さなかった。パパができたんだから、お前もできるだろう。できるね。秘密。そう秘密。言わない。そう言わないんだ。いい子だね。好きだよ、亜矢。もうお休み。朝になるまでね……)
どこをどう走ったのかわからない。聞き覚えのある声が(入るんならお入り)と亜矢の背を押した。
「まったく何だい、ぼうっと突っ立って。メイソーでもしてるつもりかい」
占い師は自分の言葉に受けて入れ歯を鳴らしたが、亜矢が反応を示さないので顔を覗き込んだ。
「どうした。さっきの元気はどこへ行った」
が、何か勘づいたのか、店内にいた客らしき中年の女性に「北東はやめなさい」と告げ、人型の札らしきものを持たせると「まだお聞きしたいことが」口籠もっているのを無理矢理帰した。ドア越しに店の外が騒がしくなっているのがわかると、ちょっと、占い師は小声で客を呼び戻し、見ざる聞かざる言わざるだよ、と念を押す。
「とにかく、ここに座りなさい」
椅子に崩れるように沈み込んだ亜矢の頭に急いで金髪のカツラを被せ、ついでに派手なラメ入りのコートを羽織らせる。
「何とか、ホステスさんに見えるだろ」
占い師はようやく自分の定席にもどった。喉、乾いてないかい。首を横に振る亜矢の前にコーラの瓶を置く。
「何があったかしらんが、こんなふうに身を削っちゃいかん」
亜矢が何かを訴えるように口を動かすと、占い師は目を八の字にして、「いい、いい。無理して話さんでもいい」染み入るような声を出した。「口も利けんようになってしまったんじゃろう。むごいのう。まだ大人にもなりきっておらんのにのう。因果じゃのう」
数人の足音が行き交った。亜矢が体を動かすと、占い師が手を握った。肉厚の掌はカイロのように温んでいて、亜矢はふたたび椅子に体を預けた。
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